関西で誕生したアイドルグループ、なにわ男子のメンバーである藤原丈一郎さん。
藤原さんは大阪府出身。なにわ男子の中では最年長であることから、ツッコミ担当になることが多いです。
また自身のことをアイドルと野球の二刀流と説明するほど、野球が大好きな藤原さん。好きな球団はオリックスで、テレビ番組を通してオリックスとも親交があるほどです。
今日ではドラマ「恋する警護24時」や映画「アナログ」、更には舞台「月とシネマ2023」など引っ張りだこ、ラジオでは冠番組「藤原丈一郎のなにわわんだふるラジオ」を担っています。
今は大活躍中の藤原さんですが、昔はとても苦労人だったそうです。今回は藤原さんが乗り越えた苦労や下積み時代について探っていきます!
藤原丈一郎はデビューが遅い苦労人?
藤原さんは2004年に入所します。当日わずか8歳での入所ですが、これは関西ジュニアとして史上最年少記録でした。
藤原さんの同期は神山智洋さん(WEST.)です。
神山さんは2014年に現WEST.としてデビューしたことに対し、藤原さんは2018年に結成されたなにわ男子として、2021年11月12日にデビューをしています。
神山さんと藤原さんのデビュー期間はなんと7年も離れていたのです。
藤原丈一郎の苦労の理由とは?
始めは先輩のコンサートの前に立たせてもらえたり、可愛がってもらえて番組にたくさん呼んでもらっていた藤原さん。
しかしまだ入所した時の年齢が幼かった藤原さんは、最年少という理由で前に抜擢されていました。しかし新しいジュニアが入るたびに、どんどん追い抜かれていきます。
当時まだ藤原さんは幼かったということもあり、新しいジュニアに追い抜かれていることさえ自覚できませんでした。
そして藤原さんの個生を確立しきれぬまま、気付けば3列目のポジションに辿り着いていたのです。
気付けば3列目だった…高校時代へ突入
高校生の頃になると、ジュニアの活動は夏休みと冬休みの長期休みがほとんど。普段の日常ではクラスメイトが進路を考え始める姿がありますが、藤原さんは自分の将来が決まっていないどころか見据えられませんでした。
そんな時に藤原さんのお母さんから「行ったら」と言われ、大学進学を決意します。
お母さんから後押しされた藤原さんは、大学のことを調べていくうちに経営学に辿り着きました。
例えばコンビニで商品をどう配置したら売れるかというマーケティングに合わせて、藤原さん自身を商品とした芸能界でもどうしたら前に出れるかというヒントになるのではないかと思ったそうです。
大学進学後
大学では友人や教授の出会いに恵まれ、充実した生活を送っていたという藤原さん。芸能界に活かせると思って入った大学も、次第にアイドル以外の道もあるかもしれないと思い悩まされます。
事務所の人には「学業とジュニアの活動、どちらも頑張りなさい」と言われていたそうですが、なかなか思うようにはいきません。
両立させようとすると全てのジュニアの活動ができなくなり、当時は焦りや反抗期もありとんがっていたそうです。
大学3年生(関西では3回生)になると、1番将来のことで悩んだという藤原さん。昼間は就活セミナーに参加し、夜は公演に出ている生活を送っていました。
こうして藤原さんは過去に何人ものデビューや同期の退所を見送り、周囲とアイドルのギャップに悩まされながらも、諦めずに必死で頑張ってきた苦労人なのです。
藤原丈一郎は最長の下積み時代
藤原さんは入所してからデビューするまでに、17年9ヶ月もかかっています。この年数は下積み最長です。
2015年5月に行われた中山優馬さんの1st TOUR「Chapter 1 歌おうぜ!踊ろうぜ!YOLOぜ!TOUR」にて、屋良朝幸さんによるオーディションにてバックにつくジュニアの1人に選ばれました。
それが3列目の8人でできた非公式ユニット、Funky8です。
メンバーは現なにわ男子の大橋和也さん、現Aぇ! groupの末沢誠也さん、草間リチャード敬太さんもいました。
中山さんのバックとして音楽番組「ミュージックステーション」にも出演しましたが、序列は相変わらず変わりませんでした。
時は流れ大学3年生(3回生)。自分はアイドルなのか、何者なのか、と迷っている時に出演が決まったのが、2016年に行われた舞台「寝取られ宗介」です。
錦織一清さんが演出し、主演は戸塚祥太さん(A.B.C-Z)でした。後々藤原さんはこのように話しています。
松竹座の方が僕にチャンスをくれた。
10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』なにわ男子編 第1回藤原丈一郎:集英社「Myojo」p.175
またアイドルを続ける決定打になる出来事がありました。それは2018年に行われた舞台「リューン」です。
この舞台は大橋和也さんとなにわ男子結成前にダブル主演をした舞台です。今まで3列目だった藤原さんと大橋さんが、初めて1列目に立つことができました。
ジュニアのパンフレットだと4人で1ページですが、舞台だと1人5〜6ページ。パンフレットを取ったファンの方が嬉しそうだったとマネージャーさんから教えてもらい、ジュニア活動を続けようと決心したそうです。
藤原丈一郎が下積みを乗り越えデビュー!きっかけとなったなにわ男子結成
2018年9月初めになにわ男子が結成され、藤原さんがメンバーに抜擢されます。最後のチャンスだと思った藤原さん。メンバーの年齢幅が広いため、グループが結成されてからも始めは上手くまとまらなかったそうです。
なにわ男子結成後に行われた公演でも、SnowMan、SixTONESの同時デビューを見送っており悔しい思いをしています。しかし「次は俺らの番や」と思えたそうです。
色々な逆境を乗り越えついに迎えた2021年7月28日「なにわ男子 First Arena Tour 2021 #なにわ男子しか勝たん」の公演にて、なにわ男子のデビューが決まりました。
藤原さんはデビュー発表されて最初に言ったことは、この言葉でした。
「長かったな」
連続ドキュメンタリー「RIDE ON TIME」なにわ男子特集第2回目より(2022年)
また後にこんな話もありました。
「デビューできて安心したんだなと感じます。」
10000字ロングインタビュー『僕がJr.だったころ』なにわ男子編 第1回藤原丈一郎:集英社「Myojo」p.177
ここまでの長い下積みを乗り越えられたのは、藤原さんだからこそでしょう。
まとめ
最年少で入所してから、最長の下積みを経てデビューした藤原さん。
何度も辞めようと思う度に、いいマネージャーや先輩に恵まれ、誰かが支えてくれていたそうです。
藤原さんは、今年2024年で芸歴20周年を迎えます。これからも活躍していく藤原さんを応援し続けていきましょう!
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